松井冬子展in浜松
芸術の秋なのでついでに浜松で途中下車して松井冬子展を見てきました。

何でも松井冬子は静岡出身らしく、まさに「故郷に錦を飾る」的な美術展の位置付けになる訳ね。
さもありなん。
あと象さんの絵と桜の絵が横に並んでたのを拝見したのですが、前者の象さんの絵はエネルギーゼロ収束のイメージ、後者の桜はエネルギー+∞発散スパーク的なイメージで、ベクトル?間逆というか相反するようなイメージなのにどちらもカタルシスを感じ荘厳的なのは観ていて何か不思議な感じがしましたです。
ちなみに前者の象さんの絵で自分が連想するのは「孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように(byお釈迦さま)」という言葉であり、後者の千鳥が淵の桜の絵で連想するのは「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ(by西行法師)」の詩でございます。ああつまり生きることは死ぬることであり、死ぬることは生きることなりけりであって、あるいは生きんと思えば死に、死なんと思えば生きるってことならば、+∞の発散と0への収束もまた同じなりけりということなんでしょうかね?...って思索的(詩作的?)に鑑賞するのもたまにはよいかもって思った秋の日でした。いや違うか、もっというと右脳と感性を刺激するために観るのが一番いいのかもしれないのだけど、ああ日々の仕事で左脳の使いすぎてて脳みそが凝り固まっているのかもしんないなー
とかく幽霊だったり死体だったり内臓ドピュン的な部分がフィーチャーされがち、もしくは「天は二物を与えん」的な羨望のまなざしでフィーチャーされがちな松井冬子ですが、意外と哲学的というか抽象的というか人間の意識の根源はなんぞや?みたいな禅問答チックな感じで絵が観れるという意味でも右脳と感性を磨き凝り固まった脳みそをやわらかくするためにも、一度は観た方がよいですよということでございます。