機械的なロジックの隙間をGNN(義理・人情・浪花節)で埋める
この前トリンプ元社長の吉越浩一郎氏の本を本屋でパラパラ立ち読みしてて「機械的なロジックの隙間をGNN(義理・人情・浪花節)で埋める」というくだりがあって結構的を得た表現だなーと思って、でもまだその本買ってなかったりするのですが、今日職場で超絶にロジカルで仕事は速く的確(でもGNNはものすごく欠落していること間違いなし)な同僚Aと、またそれとは対照的にGNNは有り余る(よく言えば人間的...というかセンシティブor育ちがおよろしい?)のだけど全然仕事ができない同僚Bのやりとり(≒口論?)を近くで目撃してしまった際に、その吉越浩一郎氏の本で出てきたGNNのくだりをふと思い出してしまった。
でもって自分が通常同僚Aと話す際たいてい自分のセンシティブな面、情緒的な部分を自覚してしまい、また同僚Bと話す場合は、逆に自分のロジカルな部分を意識してしまう訳で、それ故に自分は同僚Aと同僚Bの中間に位置するor板ばさみになっているとも言えるのだけど、このロジカルの要素とセンシティブな義理人情浪花節の要素のバランスというか最適均衡点はどこらへんなのか?というのがここ数年の自分のテーマだったりしなかったりする。
そうそう、このテーマを考える際にいつも引き合いに出すのが、夏目漱石の「草枕」の以下のくだり。
「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。」
自分はまだまだ詩や画が出来る境地までは全然達してないけど、それでもロジカルだけでは、いくら仕事が超絶できても一緒に仕事をしたいと思わないし、逆にセンシティブの部分だけでも全然一緒に仕事すると足をひっぱられるor負担分散にならないから、その両方の要素は大事だと思う。また自分も両方兼ね備えた感じにバランスよく成長できればなーと、今日どちらかが欠落してる双方のタイプの同僚のやりとりを見ててそう思った。
...とりあえず吉越浩一郎氏のその本をまだ買ってないので、あとで買って読まねばなるまいて!